2010年12月9日

同棲について思うこと

最近、身近にも同棲をしだす人たちが増えてきた。
でも、話を聞いているとそのほとんどが今の生活は「惰性で続いているようなもの」だという。

別にこれはクリスチャン、ノンクリスチャン関わらず、今の日本の社会が生み出した産物だと思う。
こないだ紹介した水谷牧師のブログでも同じようなことが書かれていた。

そこで書かれていたことと、ほぼ同じことが僕の嫁の友達からも聞けた。

すなわち、

「赤ちゃんつくれば結婚できるかなあ」

である。

ズバッと言わせてもらうと、同棲ってのは「結婚」という制度への恐れからくる「逃げ」ではないだろうか。
男性の立場からすれば「結婚」というのはそれなりの覚悟がいる(正直僕もかなり時間がかかった方だ)。

お試し期間的な気持ちや経済的な問題でしばらく同棲してから結婚に繋げようという思惑かも知れない。
でも、それがダラダラと続くと、男性はやがて女性を家事をやってくれて社会的責任も負わなくてよい、
実に都合の良い「家政婦」的な存在に見えてきてしまうのではないか。

もちろん、この背景には今の社会情勢も大いに関係してくるだろう。
雇用不安、若年層の平均年収の低下の一途などなど…

でもさ、それならふたりで協力して生きていけばいいじゃん、と僕も僕の嫁も思う。
そして、相手を協力して生きていくためのパートナーとして迎え入れればいいのに、と。

アメリカでは日本よりはるか前から共働きが当たり前だった。
日本は独特の終身雇用や年功序列システムのおかげか、旦那は稼いで妻は家事をするってのが一般的だった。

みなさんご存知のように、このシステムはすっかり崩壊している。

日本でも僕くらいの年代では、恵まれた会社にでもいないかぎり男性の給料だけでは生活は厳しい。
でも、日本人に染み付いた「こうあるべきだ」という、ある種の理想は払拭しきれていないのではないか。

僕の家庭は共働きだ。
僕の嫁も10時から18時までの7時間、ほぼフルタイムで働いている。
そして、僕は僕で毎日の家事を分担し、休日も積極的に参加している。
そのおかげで、経済的には恵まれて、将来にむけた蓄えも着々とできている。

ちなみに、僕は仕事についても会社に一生面倒見てもらおうなんて、これっぽっちも思ってない。
今はプログラマーという仕事をしているが、生活のためならどんな仕事でも構わないと思ってる。
(できることなら、いつかは教会関係の奉仕の仕事に就きたいという願いがあるが)

あー、話がそれてしまった。

「赤ちゃんつくれば結婚できるかなあ」

これこれ、これを聞くとなんだかすっごく哀しい気持ちになる。

もちろん、男女をそこまで追い込ませてしまう社会情勢にも憤りを感じるけど、
赤ちゃんを自分の願望を叶えるための道具のように扱わないで欲しい。

というか、そんなふうにして得られた「結婚」に何の価値があるんだ?
そんなふうにして得た「結婚」が幸せに続いていくとも思えない。

なんだか後味の悪い記事になってしまった…

とりあえず、女性のみなさん!
安易に同棲を口にする男性には注意した方がいいよ!
(ほんとうに幸せな結婚を望んでいるならね)

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